◆◆◆ 汚染 C・O・N・T・A・M・I・N・A・T・E ◆◆◆ 

 

汚染(contaminate)という単語を用いて、傷ついたインナーチャイルドが私たちの生活を汚染するさまをいくつか述べています。

 

 

C・O・N・T・A・M・I・N・A・T・E 

 

それぞれの以下の文字は、

傷ついたインナーチャイルドが、おとなの生活を妨害する主要な方法を表したものの頭文字です。

 

C・co-dependence                  共依存 

O・offender behaviors             犯罪行動 

N・narcissistic disorders         自己愛的障害 

T・trust issues                   信頼関係 

A・acting out/acting in behaviour 行動化・内政化 

M・magical beliefs        魔術的な思い込み 

I・intimacy dysfunctions     親交の機能障害 

N・nondisciplined behaviors    しつけられていない行動 

A・addictive/compulsive behaviors 中毒・強迫行動 

T・thought distortions        思考歪曲 

E・emptiness (apathy,depression) 空虚(無気力、抑うつ)

 

◆共依存 co-dependence 

私は共依存を、アイデンティティの喪失によって特徴づけられた病理と定義します。誰かと共依存になるということは自分の感情、欲求、欲望に気づいていないということです。以下の例を考えてみましょう。

 

 パビリアは、ボーイフレンドが自分の仕事のつらさを嘆いているのを聞きました。その夜、彼女は彼が抱える問題が気になって眠ることができませんでした。彼女は自分の気持ちではなく、ボーイフレンドの気持ちを感じてしまうのです。マックスミリアンは、六ヶ月付き合っていたガールフレンドに振られた時、死にたくなりました。彼は、自分の価値は彼女に愛されることにあると思い込んでいるのです。彼には、自分の内面から生ずる自己価値がまったくありません。他人による評価、他人に依存した自己評価しかないのです。

 ジョリサは、夫から今晩出かけないかと誘われました。彼女は優柔不断なタイプですが、結局は出かけることになりました。夫はどこに行きたいのか尋ねますが、彼女は「どこでもいいわ」と言います。そこで夫はファーストフード店で食事をした後、スリラー映画に連れて行きました。彼女はこの夜にげんなりしていました。ふくれっ面をして、その後一週間夫を避け続けました。夫が「どうしたんだ」と聞いても、「なんでもないわ」と答えるだけでした。ジョリサは「すてきな人」でした。誰もが彼女は魅力的な人だと言いますが、実は「ぶりっ子」なだけでした。彼女は絶えず演技をしているのです。ジョリサにとってすてきな人でいるのは偽りの自分です。彼女は自分が本当に何を必要とし、欲しているのかに気づいていません。自分のアイデンティティに気づいていないのです。

 

 ヤコビは52歳。彼は26歳の秘書と二ヶ月間不倫関係が続いているという理由でカウンセリングにやってきたのですが、どうしてこうなったのかわからないと言います。ヤコビはある教会の幹部で、道徳保護委員会の尊敬されているメンバーの一人です。街からポルノ雑誌を一掃する運動の先頭に立っていましたが、実は宗教的に“演技”していただけなのです。彼は自分の性的欲求に触れないようにしてきました。無理な抑圧の数年後、彼の性的衝動がその欲求を乗っ取ったのです。

 

 ビスカインは、妻の体重の問題を自分のことのように考えています。友だちに妻を会わせたくないために近所付き合いもほとんどしません。ビスカインは、どこまでが自分でどこまでが妻なのか区別できていません。自分の男らしさが、妻の外見で判断されると思い込んでいるのです。

 

 オフェリア・オリファントは夫にベンツを買ってくれるようにねだります。彼女はまたゴルフ・クラブのメンバーでい続けると言いはります。オリファント夫妻は多額の借金をかかえて、給料日から次の給料日までを綱渡りで生活しているのにです。夫妻は、債権者をごまかすことや、上流階級のイメージをつくるのに膨大なエネルギーを費やしています。オフェリアは、自尊心は上品なイメージを維持することで得られると思い込んでいます。彼女は、自己の内的感覚をまったく失ってしまっているのです。

 

 以上の例に、アイデンティティを外部の何かによって持とうとする人々をみることができます。これらは共依存の病理の例を示しているのです。

 

 共依存は、不健康な家族システムの中で育まれます。たとえば、アルコール依存症の人のいる家族の誰もが、その人の飲酒行動と共依存になります。中毒的な飲酒は家族員の生活をひどく脅かすものであるため、彼らは慢性的に用心(異常警戒)することによって適応しているからです。通常、ストレスへの適応は、自然になされる、一時的な状態であり、けっして慢性的なものではありません。しかし、長い間アルコール依存者の行動による慢性的なストレス下で生活している人は、自分の内側からの刺激、すなわち感情、欲求、欲望に気づかなくなってしまいます。

 

 子どもたちは、自分の内側から発せられる信号を理解するために、安全で健康な情動のモデルを必要とします。彼らはまた、自分の感情と思考とを区別するための援助を必要とします。家族環境が暴力的(心理的、肉体的、性的、あるいは科学物質によって)である時、その子どもはもっぱら外部にだけ目を向けなくてはなりません。そしてそのうちに、自己の内部から自尊心を育む能力を失ってしまいます。共依存的行動は、人々の幼いころの欲求が満たされなかったことを示し、そのため自分が誰であるかわからなくなってしまったことを示しています。

 

   

◆犯罪行動 offender behaviors

  一般に傷ついたインナーチャイルドを持っている人はいい人で、静かで、辛抱強いと考えられがちです。しかし実は、この世の暴力と虐待は、傷ついたインナーチャイルドによってなされているのです。ヒトラーは幼いころ慢性的に暴力を受けていました。彼は、ユダヤ人地主の非嫡出子だった、サディスティックな父親によって自尊心を傷つけられ、ひどい辱めを受けました。ヒトラーは何百万人もの無実の人々に対して、最も極端な形の残虐行為で、自分の受けた虐待を再現してみせたのです。

 

 私のクライエントのドーソンは、結婚問題でカウンセリングに訪れた時、ナイトクラブの用心棒をしていました。彼は、ある男のあごの骨を折ったと話しました。彼はその男が彼に暴力をふるわせたことを熱心に説明しました。その男がドーソンを挑発したというのです。ドーソンは、私とのカウンセリングでしばしばこのような言い方をしました。一般に、犯罪者たちは自分の行動に対して、責任をとりたがりません。

 

 二人で問題解決をしている中で、ドーソンが本当はおびえていたことが明らかになりました。恐怖を感じると、それが少年時代の記憶を思い出すきっかけとなるのでした。父親は彼に暴力をふるい、肉体的に虐待していたのです。暴力的な父親の怒りにおびえていた遠い昔の少年にとっては、自分がおびえた状態でいることは安全なことではありませんでした。そこでドーソンは自分を父親と同一視したのです。幼いころの暴力的なシーンと似たような状況になると、当時の恐怖と無力感が引きおこされ、父親が彼を虐待したのと同じように、他人傷つけるようになってしまいました。

 

 人間に危害を与える犯罪行動は、子ども時代の暴行、虐待、そしてその暴行についての未解決の深い悲しみの結果です。かつての無力な傷つけられた子どもが、おとなの犯罪者になるのです。私たちはさまざまな児童虐待が、実際にその子どもを将来犯罪者にしてしまうことを理解しなくてはいけません。特に身体的虐待、性的虐待、過酷な心理的暴力はこの例に当てはまります。精神病理学者のブルーノ・ベッテルハイムは、この過程を表す言葉をつくりました。彼はそのことを、「犯罪者との同一視」と呼んでいます。性的、身体的、心理的暴力は、その子どもにとってあまりにも恐ろしいことなので、子どもは虐待の間中、自分らしさを持ち続けることができません。その痛みを生き抜くために、その子どもはアイデンティティ感覚をすべて失い、代わりに虐待者と同一視してしまいます。ベッテルハイムは、ドイツの強制収容所の生存者を対象に研究しました。

 

 最近の私のワークショップで、ニューヨークからきた心理療法家が手をあげました。まず自分がユダヤ系であることを告げてから、続けて彼女の母親のナチ収容所での身の毛のよだつような経験をこと細かにメンバーに話したのです。彼女の話の最も驚くべきことは、母親が、ナチの看守にされたように彼女を扱ったということでした。母親は娘が3歳にもならないころから彼女にツバをかけたり、ユダヤブタと呼んだりしたというのです。

 

 おそらくさらにおぞましいのは性的犯罪でしょう。性的犯罪者は、しばしば子どものころに性的虐待を受けている場合があります。彼らが子どもにいたずらをする時、自分たちが幼いころに受けた虐待を再現しているのです。

 

 ほとんどの犯罪行動のルーツが子ども時代にありますが、必ずしも虐待の結果おこるとは限りません。ある犯罪者は、両親が彼を過度に放任したり、彼に服従したりすることによって「ダメ」になり、その結果として他人より優れていると感じるようになってしまったのです。ただ甘やかされて育った子どもたちは、誰からも特別に扱ってもらうことがあたりまえで、それ以外は許せないと思い込むようになります。彼らには責任感がなく、自分の問題はいつも誰かの誤りのせいだと思い込んでいます。

 

  

◆自己愛的障害 narcissistic disorders

 すべての子どもは無条件に愛される必要があります。すくなくともごく幼いうちは。親または養育者が善意の評価をしない鏡の代わりになってあげないと、子どもは自分が誰であるか知る術がありません。人はみな「自分」を発見する前は母親と二人で一人、すなわち「我々」でした。自分のすべてを映してくれる鏡の役目をする顔が必要なのです。人は自分が大事であり、まじめに扱われ、そしてすべての面で愛され、受け入れられていることを知る必要があります。さらに養育者の愛に頼っていいのだという保障が必要です。これらは健康な自己愛的要求です。これらが満たされないと「自分らしさ」の感覚が育ちません。

 

 自己愛が満たされないインナーチャイルドは、愛されることや注目されること、同情されることへのどん欲な要求で、おとなになった自分を汚染します。チャイルドの要求が、おとなとしての対人関係を故意に妨害します。なぜなら、彼らはいくら愛情を与えられても、けっして十分とは感じないからです。自己愛が欠乏したアダルトチャイルドの要求は、けっして満たされません。なぜなら、それは実際には子どもの要求なのですから。

 

 また、子どもはいつも親を必要としています。子どもがいろいろなものを必要とするのは自然の姿です。子どもの要求は依存欲求といえます。満たされることを他人に依存しているのです。自己愛が欠乏しているアダルトチャイルドたちの要求は、さまざまな姿で現れます。

  人間関係において次々と失望する。

  自分の要求を満たしてくれる完全な恋人をいつも追い求める。

  熱狂的傾向がある(何かに沈溺することで精神の穴を埋める試みのこと。セックスや恋愛に溺れてしまうことなど)。

  自分の価値を物や金に見出す。

  観客の追従者や賞賛者が欲しくて、俳優や運動家のような演技者になる。

  自分の自己愛的要求を満たすために自分の子どもを使う(彼らの理想の子どもはけっして自分から離れず、自分を愛し、尊敬し、賞賛してくれる)。親から与えられなかった愛情や特別の賞賛を、自分の子どもから得ようとする。

 

 

信頼関係 trust issues

  養育者が信頼できないと、子どもたちは疑い深くなります。世の中は危険で、敵がいっぱいいて、予測がつかないところだと感じるのです。常に自分をガードし、周囲をコントロールしなくてはならなくなります。そして、「もし私がすべてをコントロールするなら、誰も私を邪魔することはできないし、傷つけることもできない」と思い込むようになります。コントロール狂、すなわちコントロールすることが中毒のような症状になるのです。

 

 私のあるクライエントは、きちんと管理しきれなくなることが怖くて、一週間に100時間も働いていました。彼はほかの人の仕事を信用しなかったので、どんなささいなことも人に任せることができなかったのです。彼は潰瘍性大腸炎が悪化して入院するころになって、やっと私のところにやってきました。

 

 もう一人のクライエントは、夫が離婚申し出たことに気を取り乱していました。夫が離婚を決心した最後の引き金となったのは、夫が彼女のためにつけてあげた車内電話の機種を、彼女が取り替えてしまったことでした。夫は、妻のために何をしてあげても、彼女はけっして満足しないと言いました。彼女はいつも夫がしたことを変えずにはいられませんでした。つまり、すべての結果を自分がコントロールしなければ満足できなかったのです。

 

 コントロール狂は、人間関係に問題を起こします。あなたを疑う相手と親密になる術はありません。親密になるにはお互いが、相手をありのまま受け入れることが必要なのです。

 

 信頼の障害を持つ人は、また他人を信用するということにおいて極端になります。一方の極では、すべてのコントロールを放棄してだまされたり、愚直に他人を信用し、他人にしがみつき、過度にエネルギーを使って自尊心を失っていきます。もう一方の極では自閉的、孤独に引きこもり、誰もはいれないように防御の壁をつくります。

 

 依存症の専門家であるパトリック・カーネスは次のように指摘しています。人を信用することを学ばなかった人は、激しい感情と親密さ、強迫観念と慈愛、コントロールすることと守ることの区別ができないと。

 

 人生最初の発達課題は、基本的信頼感の確立です。私たちは他人(母親、父親、その他の人々)が安全で信頼できる人だと学ばなくてはなりません。この基本的信頼感は深い統合的な感情です。もし、私たちが世の中を信頼することができるのなら、自分自身を信頼することも学習できます。自分を信頼するということは、自分のパワー、知覚・判断・感情・欲望を信頼できるということです。

 

 子どもたちは信頼できる養育者から信頼することを学びます。もし母親や父親が首尾一貫していて、しかも自分自身を信頼しているなら、その子どもは親を信用し、自分を信頼することを学ぶはずです。

 

  

◆行動化・内政化 acting out / acting in behavior

  

 私たちの傷ついたインナーチャイルドが、子ども時代の満たされていない欲求や、解消されていないトラウマをどう行動に表すのかを知るためには、人間の基本的な欲動(人間を行動に向かわせる無意識の衝動)の源は、情動であることを理解しなくてはなりません。情動は私たち自身を守り、基本的な欲求を満たすために、私たちを動かす燃料です。私はあえて、この情動(emotion)をe-motion すなわち、行動(motion)するためのe(エネルギー)と表現します。このエネルギーは基本的なものです。

 

 たとえば怒りは、私たち自身を守るために私たちを動かします。私たちは怒っている時には、態度をはっきりとさせて表現します。怒りを用いて防衛し、自分の権利のために闘うのです。

 

 恐れは、私たちが危険に直面した時に逃げるという行動をとらせます。恐れは私たちに識別力を与えてくれます。危険が身近にあり、闘う相手としては大き過ぎることを知らせることで自分たちを守ります。つまり、恐れは私たちを逃し、非難させるのです。

 

 悲しみは、私たちに涙を流させます。私たちの涙は悲しみを浄化し、苦悩を解決する助けとなります。悲しみは喪失にともなう悲哀を体感させ、エネルギーを使用させ、後まで残させません。深く悲しむことができないと、私たちは過去を完結させることはできません。苦悩やトラウマに関連するすべての情動が凍結してしまうのです。解消できず表出もできなかったこのエネルギーは、それ自体いつまでも解決を試み続けます。悲哀を健康的に表現できないので、それは異常行動で表されます。これが「行動化」です。クライエントのマギーは、行動化の良い例です。

 

 マギーは短期で暴力的なアルコール依存症の父親が母親を罵倒し、暴力をふるうのを見ました。このシーンは彼女の子ども時代ずっと、絶え間なく繰り返されてきました。4歳の時からマギーは母親の慰め役で、母親は夫にぶたれた後、マギーのベッドに入ってきました。ふるえてうめきながらマギーに抱きついてきたのです。父親が母親の後を追ってきて怒鳴り散らしたこともありました。マギーにはそれがとても恐ろしかったのです。家族の誰かに対するどんな暴力でも、ほかの家族員をおびえさせます。暴力の目撃者は暴力の犠牲者なのです。

 

 マギーが、子ども時代に必要としていたのは、恐怖を表現することと、悲しみを吐き出すことでした。しかし彼女には、表出できずにいた悲しみを解消するのに必要な養育者は、一人もいなかったのです。彼女はおとなになっても、自分を養育してくれる親の役割をする人物を絶えず求めていたのです。私のところにきた時には、すでに二回の暴力的な結婚と、多くの虐待される関係を経験していました。そして彼女の仕事は、虐待された女性を専門に扱うカウンセラーだったのです!

 

 マギーは子ども時代のトラウマを行動化していました。彼女は虐待された女性を世話し、残忍な男性と関係を持ちました。彼女は人々の世話をしましたが、彼女を世話してくれる人は誰もいませんでした。過去の未解決な情動エネルギーは、「行動化」というたった一つの方法で表現されていたのです。

 

 行動化や再現は、傷ついたインナーチャイルドが私たちの人生を妨害する、最も破壊的な方法の一つです。マギーの場合は過去の反復脅迫の劇的な例でしょう。「今度こそうまくやれるわ」とマギーの傷ついたインナーチャイルドは言います。「私が完璧で、パパのして欲しいことを全部してあげれば、パパは私に関心を示し、愛と愛情を示してくれるはずよ」。これは子どもの魔術的な思い込みであり、おとなの合理的な考え方ではありません。私たちがそれを理解できれば、こうした行動は理解できます。行動化のほかの例を以下に述べましょう。

 

 

 

  自分が受けた暴力を他人に対して再現する。

  自分はけっして言ったこともしたこともないと公言したことを、自分の子どもの前で言ったり、したりする。

  自発的に年齢退行する(かんしゃくをおこす、ふくれっ面をするなど)。

  理屈に合わない反抗をする。

  理想化した育児ルールに従う。

 

〈内政化〉

 過去に受けた虐待を自分自身に向けることを「内政化」といいます。私たちは、子どものころに罰せられたのと同じやり方で自分を罰します。私の知人に、間違いを犯すと必ず自分を虐待する男がいました。彼は自分自身を「このまぬけめ!なんてそうおまえはバカなんだ?」と批判し、ひどくののしるのです。私は何回か彼が自分の顔を握りこぶしで殴っているのを見ました(彼が子どものころ、彼の母親はこぶしで彼の顔を殴っていたのです)。

 

 過去の未解決の情動も、しばしば自分に対して向けられます。たとえばジョーは、子どものころ怒りを表現することを許されませんでした。彼は母親に強い怒りを感じていました。彼が一人で行動することをけっして許さなかったからです。何かしようとすると、母親が割り込んできて、次のように言いました。「小さなのろまさん、ママが助けてあげましょう」「あなたはうまくやっているけどママが手伝ってあげましょうね」。ジョーはおとなになった今も母親そうさせることを、自分でできることでも彼女にさせます。彼は完全に従順であるように、そして怒りを表現することは罪深いことだと教えられてきたのです。ジョーは怒りを自分自身に対して、内攻させるようになりました。その結果、人生目標を達成することに対して憂うつ、無関心、しらけ、無気力になっていったのです。

 

 内攻化された情動エネルギーは、深刻な肉体的問題を引きおこします。その症状には、胃腸障害、頭痛、腰痛、首の痛み、肩こり(筋力の異常な緊張)、関節炎、ぜんそく、心臓マヒ、そしてガンなどがあります。また、事故に遭いやすいのも内攻化の一つの形です。自分を事故に巻き込ませることで自分を罰しているのです。

 

 

◆魔術的な思い込み magical beliefs

  子どもの考え方は魔術的です。「さっさとしないとママが病気になるぞ」。魔法とはある言葉、ジェスチャー、行動が現実を変えることができるという信念です。機能不全の親は、しばしば子どもたちの魔術的な思い込みを強化します。たとえば、子どもに対して、彼らの行動が他人の感情を左右するのだと言うことは、子どもに魔術的思い込みを教えていることになります。ここに代表的な言い方をあげてみましょう。「あなたのせいで命が縮むわ」「ほらごらん、ママは怒ってるわよ!」「パパを怒らせて気がすんだ?」あるいは、「おまえが何を考えているか、ママにはお見通しよ」などです。

 

 32歳にして5回の結婚経験を持つ女性のクライエントがいました。彼女は、結婚が自分の悩みをすべて解決してくれるものだと考えていました。彼女が“正しい”男性を見つけたら、それですべてが良くなる。まさにこのような思い込みは魔術的なものです。それは自分の行動を変えることなしに、ある出来事や他人が現実を変えてくれることを示唆しています。

 

 子どもが魔術的に考えることは自然なことです。しかし、子どもが甘えたいという欲求を満たされず傷ついていると、その子は現実には成長しません。おとなになってもまだ、子どもの魔術的な思い込みによって汚染されているのです。

 

 次に人生を汚染する魔術的な思い込みをいくつか示します。

 

 

 

  お金さえあればなんとかなる。

  恋人にすてられたら、生きていけない。

  卒業証明、学位があればもっと良くなる。

  一生懸命やろうとすれば報われる。

  “待つこと”は良い結果をもたらしてくれる。

 

 

 

 女の子たちは魔法がいっぱい詰まったおとぎ話を聞かされます。シンデレラは、ガラスの靴を持った男の人を台所で待つように言われます。白雪姫は、長いこと待てば王子様はやってくるというメッセージです。これらの物語は、女性の運命は森を偶然通りかかる死体愛好症患者(死んだ人にキスするのが好きな人)をタイミングよく待つことで開かれると言っているのです。ぜんぜん美しい光景ではありませんね!

 

 男の子もまたおとぎ話で魔術的な期待を教えられます。多くの話の中には彼らが探し求め、見つけなければならない、たった一人の女性がいるというメッセージが含まれています。彼らは遠くを旅し、暗い森の中を横切り、危険を乗り越え、ドラゴンと戦い、勝たなければなりません。そして、彼らは疑いなく、理想の女性にいつ出会うかを知るのです(これは多くの男性が結婚式の祭壇に立つのに一生懸命になる理由を示しています)。

 

 男性の運命は、魔法の豆や魔剣のような秘密の小道具によって定められます。彼はカエルとさえ付き合わなければならないかもしれません。彼らが一匹のカエルにキスする勇気を持てるなら、そのカエルはお姫様に変わるかもしれないのです(女性は逆パターンを待っています)。女性にとって魔法は、理想の男性を“待つ”こと、男性にとっては理想の女性を果てしなく“探す”ことを意味するのです。

 

 私はおとぎ話が、象徴的な想像上のレベルで作用することに気づきました。それらは論理的ではなく、そして夢のように心象を通じて話しかけるのです。多くのおとぎ話は、男性や女性のアイデンティティを見出す象徴的表現です。発達過程がスムーズに進んでいれば、私たちはやがて、これらの話をインナーチャイルドが文字どおり理解することから脱し、象徴的な意味を把握するようになるのです。

 

しかし、私たちのインナーチャイルドが傷ついていると、これらの話を文字どおりに受け取り続けます。アダルトチャイルドたちは、その後ずっと幸せに暮らせるような結末を、魔術的に待つか、探すかするのです。

 

 

 

◆親交の機能障害 intimacy dysfunctions

  多くのアダルトチャイルドたちは、見捨てられる恐怖と呑み込まれる恐怖の両極端を往き来します。ある人々は他人に征服されることを恐れて永久に孤立します。またある人は、一人ぼっちになることを恐れて破滅的な結びつきから逃げ出しません。ほとんどの場合、この二つの両極端をいったりきたりしているのです。

 

 ヘルキマーの交際パターンは、女性と激しく恋に落ちることでした。いったん親しく親密な関係になると、自分の方から身を引き始め、距離をおくようになります。彼は「彼女の批判リスト」を少しずつ集めていくのです。そのリストの項目は、普通ささいな、その人特有の行動に関するものです。ヘルキマーは、これらの「批判リスト」にのった行為のことで、小さな口論を始めます。彼のパートナーは普通引き下がり、二、三日は不機嫌です。それから二人は情熱的に仲直りをし、激しいセックスをし、深い共感を経験するのです。これはヘルキマーが再び息苦しさを感じるまで続きます。そしてまた次の闘いを始めることによって距離をつくるのです。

 

 46歳になるアテナは、15年間デートをしていません。彼女の「本当の恋人」は交通事故で死んでしまいました。恋人が死んだ時、思い出に忠誠をつくすために、二度と男性とは交際しないことを誓ったのです。実のところ、彼女は死んだ恋人とはたった3ヶ月しか交際していませんでした。彼女はおとなになって一度も男の人とベッドを共にしたことはありません。彼女の性体験は子どものころの義父による虐待の5年間だけだったのです。アテナは傷ついたインナーチャイルドの周りを鉄の壁で囲みました。そして、誰とも親しくならないために、無意識に死んだ恋人の思い出を用いていたのです。

 

 もう一人の女性クライエントは、30年間も愛のない結婚生活をしていました。彼女の夫は女遊びが激しく、彼女は夫の6回の不倫を知っていました(そのうち一人はベッドの現場を目撃しました)。私が彼女になぜ結婚生活を続けているのかと尋ねると、夫を「愛しているから」と答えたのです。この女性は甘えと愛とを混同しています。彼女は父親に2歳の時に捨てられ、それ以来会ったことがありませんでした。彼女の「愛を装った甘え」は、見捨てられるかもしれないという深い恐怖に根ざしています。

 

 以上のすべてのケースで中核となる問題は、傷ついたインナーチャイルドです。

 

 傷ついたインナーチャイルドは、人間同士の親交を汚染します。なぜなら、真の自己の感覚をまったく持っていないからです。子どもが受ける最も大きな傷は、真の自己の拒絶です。親が自分の子どもの感情、欲求、欲望を確認できないと、子どもは真の自己を拒絶してしまいます。そして子どもに偽りの自己ができあがります。この傷ついた子どもは自分が愛されていると信じるために、親が望んでいると思っているやり方で行動します。この偽りの自己は何年にもわたって発達し、家族システムの要求と文化的な性役割のよって強化されます。徐々に、その人は偽りの自己が、自分自身であると思い込むようになります。そして、偽りの自己が適応したものであり、自分が誰か他の人が書いた脚本に基づいて行動していることを忘れてしまうのです。

 

 自己の感覚を持っていない人には、他人と親密になることは不可能なのです。あなたが自分が誰であるのかを本当に知らないのに、どのようにして他人とあなた自身を分かち合うことができるのでしょう?あなたがあなた自身のことを知らなければ、いったい誰があなたを知ることができますか?

 

 人が自己の感覚を形成する方法は、強固な自我境界を発達させることです。国境のように、私たちの心理的・物理的境界は、私たちの身体を守り、誰かが近づき過ぎる時や、不適切なやり方で接触しようとする時に合図を送ります。私たちの性的自我境界は、私たちを性的に安全かつ心地よく保ちます(弱い性的自我境界を持つ人々は、しばしば望まないセックスもします)。私たちの情緒の自我境界は、自分の情動がどこで終わり、他人の情動がどこで始まるかを知らせてくれます。私たちはまた、知的・精神的境界を持っており、それらは私たちの信念や価値を決定するものです。

 

 子どもが無視や虐待によって傷つくと、それらの自我境界が破れます。これが見捨てられることや呑み込まれてしまうことの恐怖を生んでしまうのです。自分が誰であるかを知っている人は呑み込まれることを恐れません。自己を高く価値づける感覚や自尊心があると、見捨てられることを恐れません。強固な自我境界がないと、私たちは自分と他人の境界を見分けることができないのです。そうなると親交を確立するのに決定的な行動である「いいえ」という能力がなかったり、自分のしたいことがわからなくなってしまうのです。

 

 親交の機能障害は、性的な機能障害によっておこる可能性が強いといえます。機能不全の家庭で育った子どもたちは、性的発達にダメージを受けています。そのようなダメージは、家庭の貧しい役割モデル、子どもの性別に対する親の落胆、その子への軽蔑と恥辱、そして子どもの発達上の依存欲求の無視でおこります。

 

 グラディスの父親は、ほとんど家にいませんでした。何よりも仕事を優先していたのです。父親不在の中で、グラディスは想像上の父親をつくりあげました。現在彼女は三度目の結婚生活をしています。しかし、彼女の理想の男性像は非現実的なので、期待に沿うような男性は一人もいません。

 

 ジェイクは父親が母親をののしっているのを見ていました。母親はいつも最善を尽くしていました。ジェイクは女性とどう親しくしたらいいのかわかりません。彼は消極的で従順な女性を選ぶ傾向がありますが、すぐに性的魅力を感じなくなってしまいます。それは彼が母親に対してそうであったように、女性を軽蔑しているからなのです。彼の最も満足できる性体験は、女性が性行為をするシーンを想像しながらマスターベーションをすることでした。

 

 多くの子どもたちは、親が自分が男(女)なのでがっかりいているということに気づきます。すなわち、パパは男の子が欲しかったのに女の子が生まれた、ママは女の子が欲しかったのに男の子が生まれた、と。子どもは自分の性が恥ずかしくなり、後に程度の差はありますが、服従的な関係を持つ性の行動化へと向かうのです。

 

 親の軽蔑や恥辱によって苦しめられた子どもは、しばしばサド・マゾ的な性行動に陥ります。ジュールの母親は近親相姦の犠牲者であり、未治療の状態で、自分の性的虐待についての怒りをまだ解決していませんでした。ジュールは母親と深く結びつき、母親の男性に対する怒りを取り入れました。彼は後にセックス中毒になりました。彼はポルノ雑誌やビデオをたくさん持っています。彼は支配的な母親タイプの女性に見下され、恥をかかされることを想像することで性的に燃えたのです。

 

 子どもが各発達段階の課題をマスターするためには、しっかりとした手引きが必要です。もし子どもがその年齢にかなった発達の欲求を乗り越えることができないと、その発達段階のレベルにとどまってしまうでしょう。乳児期の欲求がかなえられなかった子どもたちは、口唇期的満足に固着します。これは性的にオーラルセックスへの固着として現れるでしょう。

 

 歩行期に固着した子どもは、しばしばお尻に興味を示します。生殖器部位への興味は「性の物質化」と呼ばれ、他人を性的な対象になりさがらせます。

 

 性の物質化は本当の親交を惑わす原因です。親交は二人の人間が、お互いを一個人として価値づけることを必要とします。多くの共依存的カップルは極度に物質化された、中毒的なセックスを交わします。それは彼らの傷ついたインナーチャイルドが知っている唯一の親交の方法だからだからです。

 

 

◆しつけられていない行動 nondisciplined behaviors

  しつけはラテン語のディシプリナ(disciplina)に由来し、その意味は「教える」です。

子どもたちをしつけることによって、私たちは彼らにより豊かで愛にあふれた生き方を教えます。心理療法家のm・スコット・ペックは、「しつけは人生の受難を減らす方法である」と言っています。しつけによって、真実を語ること、満足を先延ばしすること、自分自身に正直であること、責任をとることによって、人生の喜びや快感を増すことができることを学ぶのです。

 

 子どもたちには、手本を示してくれる親が必要です。

彼らは、親が口で言うことよりも実際に行っていることから学びます。

両親がしつけのモデルになりえない時に、規律のない子どもになります。

また親のしつけが極端に厳格な場合(そして言行不一致の時)生真面目すぎる子どもになります。

  しつけられていないインナーチャイルドはぶらぶらと時を過ごし、ぐずぐずして、満足を先延ばしできず、反抗的で、わがままで頑固で、頭で考えず衝動的に行動します。

過度にしつけられた子どもは厳格で、強迫的で、過度に抑制的で、従順で、人を喜ばし、恥と罪の意識でいっぱいです。傷ついたインナーチャイルドを持ったほとんどの人は、しつけられていない行動と過度にしつけられた行動の両極端を揺れ動いているのです。

 

   

◆中毒・強迫行動 addictive / compulsive behaviors

 依存症と中毒的行動の主な原因は、傷ついたインナーチャイルドです。私は若い時にアルコール依存症になりました。私の父もまたアルコール依存症で、幼いころ、私を物理的にも情動的にも見捨てていました。私は自分が、父が時間をかけるほど価値のある人間ではないのだと感じました。なぜなら父は私と一緒にいてモデル行動を示してくれることはなく、彼と心の絆を結んだことはけっしてないし、男の人に愛され、価値づけられることがどんなものなのかをまったく経験しなかったからです。その結果、私は一度も一人の男として自分自身を愛せなかったのです。

 

 10代の初め、父親のいない友達と遊び回りました。私たちは男を証明するために酔っぱらい、娼婦買いをしたのです。15歳から30歳までは、酒と麻薬に溺れました。そうして1965年12月11日、薬をきっぱりやめたのでした。しかし科学物質依存はとまりましたが、中毒的行動は続きました。私は中毒的にタバコを吸い、仕事をし、食べていたのです。

 

 私のアルコール依存症は、遺伝的に受け継がれていたものであることは疑いありません。アルコール依存症は遺伝的だという証拠は十分であるように思われます。しかし遺伝的要因だけでアルコール依存症を説明するのは不十分です。もしそうであれば、アルコール依存症の親から生まれた子どもはみんなアルコール依存症になるはずです。しかし、そうでないことは明白です。私の兄弟も姉妹もアルコール依存症ではありません。

 

 私は25年間、アルコール依存者として麻薬依存者を対象としたワークをしてきました。これには10代の麻薬乱用者を含まれています。その間、依存症の原因が純粋に科学物質によるもののみであったケースを見たことがありません。確かに化学物質の中には素早く依存させるものもあります。ティーンエージャーがたった二か月でひどい依存症になったのを見たこともあります。しかし、そこで私が発見した共通する要因は、傷ついたインナーチャイルドだったのです。それはすべての強迫的・中毒的行動のルーツです。

 

 アルコール依存症の家族のすべての子どもがそうであるように、私も情緒的に見捨てられていました。子どもにとって、見捨てられることは死を意味します。私の二つの最も基本的な生存欲求(両親はokで、私は大事にされている)を満たすため、私は母の心理的な夫となり、弟たちの親にもなりました。母と弟たちを助けるために自分がokだと感じるようにしむけたのです。父は私のことを愛しているが病気のためにそれを示すことができず、母は慈悲深い人なんだ、と言い聞かされ信じたのです。これらのすべては、自分は親が時間をかけるほど価値がない(中毒性の恥)、という感覚をおおい隠してくれました。私のコア・マテリアルは選択された知覚、抑圧された感情、そして間違った思い込みで構成されていました。これは私の人生おこるすべての新しい経験を解釈するフィルターとなりました。このような未熟な子どもの適応様式は、子ども時代は生き残るには役立ちましたが、おとな時代を生き抜くためには貧弱なフィルターでした。そして30歳の時、アルコール依存17年目にして、私はオースチン州立病院にたどり着いたのです。

 

 強迫的・中毒的な行動の中核が傷ついたインナーチャイルドであると気づくことは、より幅広い意味で依存症を捉える助けとなります。依存症はある種の気分変化と病的に関係していて、それは人生にダメージをもたらします。摂取性依存症は、最も劇的な気分変容作用をもたらします。アルコール、薬物、食べ物は、気分を変化させるという科学的な潜在力を持っています。しかしほかにも、気分の変容をもたらすものはたくさんあります。活動依存症、認知依存症、感情依存症、物への依存症などです。

 

 活動依存症には仕事、ショッピング、賭け事、セックス、宗教的儀式などが含まれます。実際、どんな活動も気分を変えるのに用いることができます。すなわち、活動することで気をまぎらわせて感情を変えるのです。

 

 認知依存症は、感じることを避けるパワフルな方法です。私は何年も頭だけで生きてきました。私は大学の教授でした。思考することは感情を締め出す方法になります。すべての依存症は思考成分を持っており、それを強迫観念と呼んでいます。

 

 感情は、それ自体で依存症になりえます。私は何年もの間、激怒依存症でした。私の知っている唯一の境界線引きである激怒は、私の苦痛と恥を隠していました。私は激怒すると傷つきやすい無力者ではなく、むしろ力強く精力的に感じたのです。

 

 おそらく誰もが恐れの依存症にかかっている人を知っているでしょう。恐怖依存症の人はものごとを破壊的に捉え、常に臆病に行動する傾向があり、たいしたことでなくても心配し、他人を巻き込んで大騒ぎさせます。

 

 ある人は悲しみ・悲哀の依存症になります。悲しみの根拠となるものがないようにみえますが、彼らが悲しみそのものなのです。悲しみ依存症にとって、悲しむことは存在していることの証明なのです。

 

 私が最も怖いのは喜び依存症の人です。彼らは微笑み、陽気になることを強制された良い少年少女です。それは笑い顔が凍結してしまったかのようです。喜び依存症はけっして悪いこと見ようとしません。母親が死んだということを話している間にも笑っていることでしょう。なんて不気味なことでしょう!

 

 物も依存対象になります。お金に対する依存は最もありふれた「物」依存症です。それ以外にも心を奪われる物はどんな物でも気分を変える源になります。

 

 ほとんどの依存症の中核は、遺伝的要因があろうとも、傷ついたインナーチャイルドであり、それは常に欲しがり、非常にどん欲な欲求状態にあります。これらの特性は素人でもすぐに見分けられます。

 

 

 

◆思考歪曲 thought distortions

  偉大な発達心理学者ジーン・ピアジェが子どもを「思考的エイリアン」と呼びました。子どもはおとなのようには考えないからです。

 

 子どもは絶対主義者です。子どものこの種の思考法は「すべてか無か」の分極性として現れます。あなたが私を愛していなければ、私を嫌っているということになります。中間にはなんの感情もありません。父親が私を見捨てたら、すべての男性が私を見捨てると考えます。

 

 また、子どもは非論理的です。「情緒的論理」ともいわれています。それは「私はこう感じる。だからこうあらねばならない」とか「私が罪悪感を感じるからには、自分はダメな人間なのだ」と考えることです。

 

 子どもは思考と感情を分けることを学習するために、そして感情を頭で考え思考を感じるために、健全なモデルが必要です。

 

 子どもは自己中心的に考えます。それは、なんでも自分のこととして受けとめるところからわかります。「パパが僕と一緒にいる時間がないのは、僕がダメで僕に何か悪いところがあるからだ」とほとんどの虐待される子どもは考えるのです。自己中心性は子どもの自然な状態であり、道徳でいう利己主義とは違います。子どもはただ他人の側に立った見方ができないのです。

 

 子どもの発達上の依存欲求が満たされていないと、おとなになって、このインナーチャイルドの思考で汚染されます。

 

 私は、情動的思考のせいで、重大な金銭問題をかかえているおとなを何人か知っています。彼らは、何か欲しいということがそれを買う十分な条件と考えます。子どもが思考と感情を分ける学習をしていないと、おとなになって心理的な苦痛を避けるために思考を使うようになります。彼らはあたかも当然のごとく、頭と感情を切り離すのです。このような思考歪曲の二つの一般的なパターンは、普遍化と細目化です。

 

 普遍化はそれ自体、歪んだ思考形態ではありません。すべての抽象科学は、私たちにものごとを普遍化することと抽象的に思考することを要求します。普遍化は感情を避けるとめに使用されると歪みになります。学問的には天才でも、日常生活をうまくこなせない人はたくさんいます。

 

 普遍化の本当の歪んだ形態は、恐怖化です。人は将来について抽象的な仮説を立てる時に恐怖化します。「定年後に年金の金が不足したらどうしよう」、これは恐ろしい考えです。考えることが不安を引きおこすのです。思考は事実ではなく、純粋な仮説ですから、思考者は文字通り自分を怖がらせているといえます。傷ついたインナーチャイルドは、しばしばこのような形で思考に影響をおよぼします。

 

 普遍化と同じように、細目化も重要な知的能力となりえます。くわしく徹底的に考えることは悪いことではありません。しかし苦痛な感情を避けるためにそれらを用いたら、人生のリアリティを歪めます。強迫的完全主義の行動はこれの良い例です。人は不全感を避けるために細かいことに没頭するのです。

 

 人の話を聞いていると自己中心的な話はどこにでも転がっています。私は最近、飛行機でカップルが話しているのをなんとなく聞いていました。女性が機内の旅行プラン誌を見ていました。彼女がオーストラリアに行きたいと何気なく言うと、男性は怒って「僕に何を期待しているんだ、こっちは仕事で死にそうだっていうのに」と言ったのです。彼の傷ついたインナーチャイルドは、彼女がただオーストラリアへ行きたいと言っただけで、給料が安いことを非難されていると思い込んだのです。

 

 

 

◆空虚(無気力、抑うつ) emptiness (apathy , depression)

  傷ついたインナーチャイルドは、また空虚感という軽い抑うつ感で、おとなの生活を汚染します。抑うつは子どもが偽りの自己に適応し、本来の自己を押しやっていなければならないことの結果です。真の自己を放棄することが、結果として内部に空虚を残すのです。私はこの現象を「魂の穴」と説明しています。真の自己を失うと自分の本当の感情、欲求、そして欲望とのコンタクトを失います。その代わりに、偽りの自己によって要求される感情を体験するのです。たとえば「いい人であること」は偽りの自己の一般的な共通要素です。「いい人」はけっして怒りや欲求不満を表現しません。

 

 偽りの自己を持つ人は演技します。演技にはその人の真の自己はけっして含まれません。再生しつつある人がこのように説明しました。「それはまるで歩道に立っていて、自分の人生が通り過ぎているのを見ているようなものだ」と。

 

 空虚感を感じることは、慢性的抑うつの一形態であり、自分の真の自己を失って永続的に悲嘆している状態なのです。すべてのアダルトチャイルドたちは程度の差はあれ、軽い慢性的抑うつを体験しています。空虚感は無気力としても体験されます。カウンセラーとして、私はしばしばアダルトチャイルドたちが人生に退屈し、意味がないと訴えるのを聞きます。彼らは、人生をある種の欠乏と位置づけています。彼らには人々がものごとにそんなに興奮する理由が理解できないのです。

 

 ユング派の分析家マリオン・ウッドマンが、トロントを訪問したローマ法王を見に行った女性の例で説明しています。その女性はローマ法王の写真を撮るために、操作の複雑なカメラを持って行きましたが、カメラ操作に心を奪われ過ぎて、ローマ法王が通り過ぎたところの写真を一枚撮っただけでした。彼女は実際ローマ法王は見ることすらできなかったのです!現像した写真にはローマ法王はかろうじて写っていましたが、もちろん彼女は写っていません。彼女は実体験の場にはいなかったのです。

 

インナーチャイルドが傷ついていると、空虚感と抑うつ感を感じます。人生が非現実的であるような感覚になり、そこにいるけれども、その中にはいない感じがするのです。この空虚感が孤独感をもたらします。自分のあるがままにはけっしてならないので、そこに存在しないのです。そして人々が賞賛し、自分の周りに集まってきたとしても孤独を感じてしまいます。私の人生のほとんどはこのようでした。私はどのグループにいても常にリーダーでした。周りには常に人々が集まり、私にあこがれ、賞賛しました。けれども私は本当にはどの人ともつながっている感じはありませんでした。聖トーマス大学で講義をしていたある晩のことを思い出します。私の講義のテーマはジャック・マーチンの解釈によるトーマス的宣言の罪悪についてでした。私はその晩は特に雄弁で頭がさえており、教室を立ち去ろうとすると聴衆から拍手がわきおこりました。今でもはっきりと覚えていますが、その時私は自分のこれまでの空虚感と孤独感に終止符を打ちたくなったのです。死にたいほどでした!

 

 これはまた傷ついたインナーチャイルドが、いかに自己中心的に汚染されているかの説明になります。アダルトチャイルドたちは自分に心が奪われています。彼らの空虚感は慢性の歯痛みたいなものです。人は慢性的な痛みに苦しんでいる時、自分のことしか考えられません。

 

 汚染(contaminate)は、「人間の絆」の領域すべてを覆いつくしています。自分のインナーチャイルドが、おとなの生活にいつまでも深刻な問題をもたらすということをわかってもらいたいのです。